風のチェルシー~80年代思い出話~ -2ページ目

花ぬすびと

花ぬすびと


明日香「花ぬすびと」

この歌を聞いたのはどのテレビだったか、ラジオだったか、
まるで記憶にないのですが、一度聞いただけで、
「あ、私、これ好き」と思ったものでした。

♪二度さーき 夢さーき 狂い咲き
人のこころも また同じこと

この部分ばかりをはっきり覚えていたので、
何度も口ずさんだものです。

先に書いたあみんの「待つわ」が、
ポプコンでグランプリを獲り、この曲が優秀曲賞を受賞しました。
その後、世界歌謡祭というものでグランプリを獲りました。
いずれもヤマハが主催だったりするので、
ヤマハ的にはこの曲を推したかったのでしょう。
ちなみに前年のグランプリはアラジン「完全無欠のロックンローラー」…。

さて、当時は結局一度きりしか聴けなかったこの曲。
10年ぐらい経って、カラオケで見つけました。
思わず選曲。チャッチャッチャッチャッ…暗いピアノのイントロ。

♪私が話す 伝説を あなたは 笑って 聞き流す…

なぜか最初から歌える私。しかし、この曲、長いんです。
5分以上あります。しかも後半はほとんど、

♪ごめんね ごめんね ごめんなさい…(以下延々繰り返し)

一気に場は盛り下がり、
歌っていてだんだん気まずい気分になってしまいました。
いい曲なんだけどなぁ…。やはりひとりで口ずさむしかないようです。

待つわ

待つわ


あみん「待つわ」


岡村孝子さんと加藤晴子さんのデュオで、
ヤマハのポプコン出身。
あみんという名前はさだまさしさんの歌に出てくる
「安眠」という言葉からだそうです。
この「待つわ」がグランプリで、優秀曲は…次の機会に取り上げます。

両方とも個人的に大好きです。たとえ暗いと思われようとも。

同じ、待つのでも「まちぶせ 」より更にたちの悪い待ちっぷりです。

待つわ いつまでも待つわ 
他の誰かに あなたがふられる日まで・・・

「まちぶせ」は執念ですが、こちらは怨念を感じます。
いずれにしてもターゲットの相手はいい気分しないでしょうね。
また、あみんのおふたりがやけに地味な装いだったので、
怨念が妙にリアルに感じられたりして。

岡村さんが後に野球選手と結婚して離婚して、
いまやシングルマザーだなんて、想像もつきませんでした。
加藤さんはあみん解散後、あっさりと引退されたようです。

その昔「元気が出るテレビ」で、ビートたけし氏が、
いろいろあってテレビに出られなかった時期、
ファンが集まってこの歌を大合唱したのを記憶しています。
なんか私もテレビの前でもらい泣きしたような…。
そのときの「待つわ」は怨念ではなく、
「祈り」を感じたものでした。

CHA-CHA-CHA

CHA-CHA-CHA


石井明美「CHA-CHA-CHA」
TBS系ドラマ「男女七人夏物語」主題歌

Finzi Kontiniという人がもともと歌っていたらしいです。

歌の印象は強く残っているのですが、
この方の印象となると、ほとんど残っていません。
当時から、「地味な名前だなぁ(でも芸名)」だとか、
「美人だけど華がないなぁ」などと思っていました。

ドラマは全然見ていませんでした。
たぶん、当時の私は人気のあるものに対して
わざと目をそむけていたような、そんなティーンエイジャーだったかと。
親との外出も拒んじゃうような。
それが過ぎると、もうどうでもよくなって、今に至るわけなのですが。

とにもかくにも「チャチャチャ」が随所に織り込まれ、
間奏さえも「チャッ チャッ チャッチャッ チャッ チャッ チャッ パン!」
みたいなカンジで(って、全然分からんですね)、
聴いてて気持ちがいいです。

気持ちがいいといえば、「ランバダ」の日本語バージョンなんてのも
石井さんは歌っていました。
踊りはともかく、案外好きだったんですよ、ランバダ。
よく聴いていました。ちょっと恥ずかしい。

その後の石井さんですが、
何年か前にテレビで見たときは雑貨屋さんをやっていたようです。

輝きながら…

輝きながら…


徳永英明「輝きながら…」
フジカラースーパーHRCMソング


個人的には硬質の声(杉山清貴氏とか)が好きなので、
こういう高音でかつ優しい声というのは苦手でした。
歌詞も、これまた優しくて

瞳を閉じても 木洩れ日が
手を振る君を 照らしてる
・・・

木漏れ日ですから、もう。更には

Don't Say Good-bye
君だけの 夢を刻むのさ  
想い出をつめた少女の 笑顔のままで


もうホント、こういうぬるい歌詞は当時から苦手で、
なんで売れたのかさえも理解できないほどでした。
それはつまるところ「了見が狭い」ということなのですが。

しかし、ファンサイトを見てみると、
徳永氏は、このヒット曲をライブではほとんど歌わなかったそうです。
また、翌年の「風のエオリア」もヒットしたのですが、
この曲も歌わなかったとか。

ヒット曲で作られてしまったイメージに対する反抗のようなものが
あったのかもしれません。
オレじゃないオレが一人歩きしてる~ってなカンジで。

そうこうしているうちに、「もやもや病」発症。
本当は「ウィリス動脈輪閉塞症」という名前なのに、
なんかふざけた病気みたいで気の毒でした。

病気を経て、時を経て、何かふっきれたのでしょうか、
「輝きながら・・・」とも折り合いがついたようで、
テレビやセルフカバーアルバムでも歌うようになりました。

来年にはデビュー20年。20年か…。
この声を20年維持するってのは、ある意味すごいですね。

前略、道の上より

前略、道の上より


一世風靡セピア「前略、道の上より」
スズキ自動車CM曲
昨年、パイオニアDVD楽ナビCMでも使われていました。


言うまでもなく、そいやそいや!ですね。
正確には「素意や」だそうですが。

相変わらず、欽ドン好きだった小学生の私は
「あ、ヨシヤマ先生とワルヤマ先生がいる~」などと思ったものですが、
そのインパクトたるやすさまじいものがありました。
怖そうなお兄さんたちが、
ソフトスーツ着こんで、そいやそいや叫びながら、
何かを持ち上げるような振り付けを繰り出したかと思ったら、

さーきほーこるはーなはー 散るからこそに美しい~

と、棒読みで歌いだすのです。
ちなみに2番の歌詞は、

うーみにもぐるーにはー 息を止めなきゃ潜れない~

人生の何たるかを感じそうですが、すっかりねじくれた今の私は
ただ苦笑、するのみですね。

さて、一世風靡セピアはもともと
「劇男(これでゲキダンと読みます)一世風靡」の
音楽パフォーマンス部門として、渋谷の路上で踊っていた人たちで、
ときどき、勝俣氏などが
「一世風靡のメンバーだった」とまぎれこんでいますが、
彼はセピアではありませんでした。
ちなみに、劇男のほうには風見しんごさんもいらっしゃったそうで、
一世風靡と欽ちゃんのつながりが気になるところです。

1989年に解散。
哀川翔さんをはじめ、それぞれのご活躍は周知のとおり。